松坂大輔 中日で復活の一軍勝利へ!昔を知る森繁監督とのエピソードが評判

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松坂大輔と森繁和監督(トレンド論語)
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こんにちは、隣雲(りんも)です。

実は日本のプロ野球(NPB)が好きで、細かいニュースも気になるタイプです。

 

さて、2018年のNPBの大きな話題として、かつて「平成の怪物」と評された松坂大輔投手が、中日ドラゴンズに入団しました。

初めてのセ・リーグで復活の一軍勝利は、感動の一言しかありません!(2月時点の予想です。笑)

 

森繁和監督との縁から入団となりましたが、人心掌握術も素晴らしいものですね!

・・・気になって調べてみたら、何と森繁和監督も「論語」の言葉を大事にする人でした。

 

松坂大輔投手のプロフィールや実績

「怪物」と評される投手は、昔で言えば江川卓氏で、最近ならば大谷翔平選手でしょうか?

松坂大輔投手は、NPBの系譜的にちょうどその真ん中にあたる世代です。

松坂大輔

松坂大輔(出典:ドラゴンズ公式より加工)

 

その球歴や成績を見ると、改めてその「怪物」の凄まじさが伝わってきます。笑

◆プロフィール

氏名:松坂 大輔(まつざか だいすけ)
身長:183cm
体重:93kg
生年月日:1980年9月13日(2018年の誕生日で38歳)
出身:東京都江東区
アマチュア球歴:東陽フェニックス(小学校)~江戸川南リーグ(中学校)~横浜高校

プロ入り:1998年度のNPB新人選手選択会議にて、3球団競合1位指名で西武ライオンズが交渉権を獲得

MLB挑戦:2006年オフのポスティング制度で約60億円(当時)にて、ボストンレッドソックスが獲得
NPB復帰:2014年3年12億円の大型契約にて、福岡ソフトバンクホークスに復帰

プロ所属球団:
西武ライオンズ(1999年~2006年)
ボストンレッドソックス(2007年~2012年)
ニューヨークメッツ(2013年~2014年)
福岡ソフトバンクホークス(2015年~2017年)
中日ドラゴンズ(2018年~ )

 

◆主な記録など

横浜高校時代
・1998年の春夏で甲子園連覇
・夏の決勝戦で史上二人目のノーヒットノーラン
・新チーム結成後、公式戦44連勝で引退

NPB時代
・新人王(1990年)
・沢村勝(2001年)
・最多勝(1999年、2000年、2001年)
・最優秀防御率(2003年、2004年)等々

WBC(国際大会)
・MVP(2006年、2009年)

通算記録(2017年まで)

・NPB 108勝60敗1セーブ / 防御率2.96 /  投球回1403.2
・MLB   56勝43敗1セーブ / 防御率4.45 /  投球回790.1 

※出典:Wikipediaなど

上記の動画で、甲子園の決勝やNPBデビュー時は本当にスゴイ球を投げていましたね~

片岡選手から三振を奪うシーンは、スポーツニュースで何度も繰り返されている有名なシーンです。笑

 

第一回第二回のWBCも手に汗握りながら、応援していた思い出があります。

MLB挑戦後の、二年目に18勝を挙げましたが、その後は度重なる故障からあまり活躍はできませんでした。残念!

 

そして、2014年には9年ぶりにNPB復帰を果たします。

福岡ソフトバンクホークスに3年契約で入団しますが、肩のリハビリなどで一軍登板はわずか一試合に終わってしまいました。

 

・・・3年契約が終わり、球団から育成かコーチ契約でのリハビリ継続を打診されますが、これを拒否。

2018年にテストを経て、初めてのセリーグとなる、中日ドラゴンズに入団します。

 

ここまで、故障などの紆余曲折あったにせよ、これだけの活躍はやはり「平成の怪物 松坂大輔」ですね!

 

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「平成の怪物」復活は、森繁和監督との縁から

「平成の怪物」復活は、森繁和監督との縁から

「松坂大輔はもう引退したほうがいい」という空気の中、救いの手を差し伸べたのが、森繁和(もりしげかず)監督です。

(野球ファンの間では「モリシゲ」で通っています)

森繁和

森繁和監督(出典:ドラゴンズ公式より加工)

 

森繁和監督は、ご覧の通りのリーゼントの強面(?)ですが、現役時代はドラフト1位で西武ライオンズに入団し、黄金期のストッパーも務めた名投手でした。

引退後は、投手コーチ等で球団を渡り歩き、2014年までの約30年間ユニフォームを着続けています。

落合監督の元では、投手、バッテリー、そしてヘッドコーチとして、8年間の落合政権を支えた人物です。

 

・・・これまで、森繁和監督はどちらかというと、「陰でトップを操る参謀」的な役を好んでいます。

しかし、2017年から5年連続Bクラスと、暗黒期でもがく中日ドラゴンズの監督に就任しました。

 

2016年の中日ドラゴンズは谷繁監督がシーズン途中解任されるなど、不振のどん底にあったような状態にあり、成績も最下位。

オーナー直々に再建を依頼して誕生したのが、森政権となります。

 

森繁和監督は、就任会見で「次の監督へ」「どうせ苦しむなら俺が」と何度も口にしていたのが印象に残ったんですよね。

あえて火中の栗を拾いに行ってでも、チームを再建したい想いに溢れていました!

・・・チームの生え抜きOBでもないのに、意気に感じるのが森繁和監督の本質のようです。

 

26歳差をつなぐ二人の兄貴分・・・「デニー友利と石井貴」

二人の縁は、松坂大輔投手が西武ライオンズに入団した際に、森繁和監督が西部の二軍投手コーチを務めていた頃に遡ります。

投手を引退後そのままコーチしていたので、44歳で18歳の松坂大輔投手をチームに迎えたんですね。

しかし、プロ初年の松坂大輔投手は、最多勝・新人王などタイトルを獲る活躍を見せ、二軍で一緒のグラウンドで過ごすことは無かったとか。

直接の指導はあまりなかったかもしれませんが、森繁和監督の「腹心的存在」のデニー友利投手と、「一番弟子」といわれた石井貴投手という存在がありました。

 

森繁和監督の著作にも、そのような記述があります。

「・・・その石井とともに、西武投手陣を「兄貴分」としてまとめていたのがデニーだった

1999年には平成の怪物・松坂大輔が入団している。

(中略)

このふたりを含めた西武投手陣は、大物ルーキーを迎え入れるための雰囲気を自然と作れていた。

怪物ルーキーを決して特別扱いせず、他の選手と同様に扱う。松坂の人懐っこい、明るい性格も良かったのだろう。

デニーも石井もオープンで明るい。ジメジメしていない、笑顔の縦社会というか、愛らしい先輩・後輩の関係が作れたのだろう。」

 

出典:軍師の逆襲(ヨシモトブックス)

デニー友利氏は13歳、石井貴氏は9歳と、松坂大輔投手より歳上なので、プロ生活のイロハを教わるにはうってつけですね。

 

特に現在、デニー友利氏は、中日ドラゴンズの投手コーチを外れて、背広組の編成部国際渉外担当になっています。

福岡ソフトバンクホークスを退団して、宙ぶらりんになった松坂大輔投手との重要なパイプ役を務めたことでしょう

 

森繁和監督の人生観から伺えた、松坂大輔投手の「復活プラン」

2017年12月末、中日ドラゴンズが松坂大輔投手の入団テストを行うことを発表

ファンからは「若返りを図っているのに、なぜ?」の声が、多く漏れていました。

 

そして、キャンプイン前の2018年1月23日、非公開テストが行われ、即日合格が発表

晴れて、現役続行を模索していた松坂大輔投手の、2018年所属先が決まります。

 

古巣の西武ライオンズが獲得に乗り気でなかったので、森繁和監督が手を差し伸べたコメントも散見されました。

 「西武が獲らないって言うんだから、もう俺しかいないだろ。大輔に引退試合をさせてやれるのは」

 99年に松坂が西武に入団した際の2軍投手コーチ。腹心の友利編成部国際渉外担当は松坂の兄貴分だった。ソフトバンク退団後の米国自主トレで、投球練習する映像を確認。森監督は決断した。

出典:デイリースポーツ(2018年1月25日付

森繁和監督は、「昔気質の人情ヤ〇ザ」といった見たまんまの方ですよね。笑

著書を読んでも、「人と人の縁を大切にする」「実際に人に会って接する」といった姿勢が随所に出てきます

黄金時代の西武ライオンズはちょうどバブル期だったので、「付き合い」のマナーは銀座仕込みの相当な物だと想像します。笑

・・・なんか、懐かしささえある温情が、感じられてきます。

 

また、松坂大輔投手と同じように、中日ドラゴンズは「賞味期限切れ」の大物選手を獲得して、活躍させてきた実績があります。

2007年の中村紀洋選手や、2014年の小笠原道大選手ですね。

 

小笠原選手をFAで獲得する際の、落合監督(当時)とのやり取りは、今回の松坂大輔投手に大いに重なるものがあります。

「どうだ?使えるか?」

小笠原がFA宣言する意思を表明したのは昨年11月10日だった。

この直後、落合GMにこう尋ねられた私は即座に答えを返した。

「使えるか、ではなく”どうやって使うか”ではないですか?」

(中略)

恥も外聞も関係ない。小笠原はそれだけ必死になている。

そんな意気込みをこちらが汲み取って、様々な場面でチャンスを与えるのもひとつの方法だ。

 

出典:軍師の逆襲(ヨシモトブックス)

福岡ソフトバンクホークスでは、3年間リハビリに費やし、あまり球団内で対人関係が良くなかった報道も目にしました。

 

2月のキャンプ中継を見ながら、この記事を書いていますが、松坂大輔投手の表情も明るくなっていますね!

焦って肩のケガが再発しなければ、一軍登板で復活勝利を挙げるのは、もう秒読み段階です

 

もうベテランで、慎重にリハビリを続けてきたから、そんな心配は杞憂で終わるでしょう。

・・・そういえば、野球界で一番最初に「違和感」という言葉を用いたのは、松坂大輔投手という伝説も。笑

 

隣雲の硯(りんものすずり/この記事のまとめ)

隣雲の硯(りんものすずり/この記事のまとめ)

人との縁を大事にする森繁和監督が、松坂大輔投手の舞台を用意するくだりは、私も強く胸を撃たれました打たれました。

 

「仕事は”人”とのつながりで回っていく」は、森繁和監督のモットーです。

そして、人のつながりで、人も生きてきます。

 

私も、何か不思議な親しみを感じながら、著作を色々と読んでいました。

すると、若いときに聞いたであろう、印象深い二つの言葉についての記述がありました

「私は駒澤大学出身で、大学の本山・総持寺の住職に「壁を破るには一度、本山に来なさい」と言われ、10日間寺に入ったことがある。

そこの住職に教えてもらった二つの言葉。

※①「巧言令色(こうげんれいしょく)」※②「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)」

(中略)

読すると相反する意味ではあるが、人の”ありかた”を考える時に、深いところでつながっている示唆に富んだ言葉である。」

出典:勝ち続ける力(ビジネス社)

駒澤大学は仏教系ですが、こちらの出典は「論語」ですね。

 

※①「巧言令色」の意味は、言葉巧みで飾りたてたり、善人らしく装うのは、他者に対する気持ちや配慮が少ないということ。(学而第一の三 / 1-3)

※②「剛毅朴訥」の意味は、口数は少ないが、意志が強く素朴な人物」こそが仁に近いとする。前述の「巧言令色(こうげんれいしょく)」と対になることば(子路第十三の二十七 / 13-27)

 

森繁和監督は、「人の”ありかた”を考える時に、深いところでつながっている」と表現していますが、深い解釈ですよね~

 

若いころは、②の「剛毅朴訥」のみで何事も済ませても、仕事を進める上でコミュニケーション不足が生じるはずです。

そこで、①の「巧言令色」を身にまとうと、仕事が円滑に回るようになるということでしょう!

 

松坂大輔投手が復活の一軍勝利を挙げた感動の陰には、そのような配慮が行き届いた組織のバックアップの力があったはずです。

2018年のプロ野球シーズン終了後には、嬉しい誤算が続出するかもしれない?!

森繁和監督の胴上げや、松坂大輔投手のカムバック賞までは、妄想が過ぎますね。笑

 

・・・とにかく、「平成の怪物」松坂大輔投手の復活の一軍勝利をお祝いします!!(予定)

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隣雲(りんも)

隣雲(りんも)

こんにちは、隣雲(りんも)です。
私は東洋思想とマーケティングが好きな、アラフォーの日本人です。

声の大きい狡賢い人よりも、徳の高い人こそが報われる世界があったら良いなと思っています。

・・・私の好きな『論語』に「徳は弧ならず、必ず隣有り」という一節がありますが、
このブログはその一節のように、ビジネスパーソンや起業してその後苦労されている方にとって「必ず隣有り」となるべく発信していきます。

そんな私が、なぜ発信しているか等はこちらのリンク先からどうぞ。

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これらの話を通して、「自分の価値」や「売り方」を再構築する手法などを、楽しくお伝えする所存です。

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