渋沢栄一の「論語と算盤」とは? / 名言を収めた起業家の演説録 & 功績は日本経済や道徳に影響

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渋沢栄一の論語と算盤とは?
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こんにちは、隣雲(りんも)です。

私はビジネスシーンでよく散見される「売上が全て!」「ビジネスは非情!」的な、言わば収奪型のマインドセットがどうしても合わないんですよね。

 

しかしながら「日本資本主義の父」こと渋沢栄一の「論語と算盤」を精読してからは、そのようなマインドセットが見解の相違の問題ではなく、人間生活にとって低次な欲求だと思えるようになりました。

・・・腑に落ちた今では、「論語と算盤(そろばん)」が私の座右の書です!

 

目次(お好きな所からどうぞ)

渋沢栄一とは?どんな人?

渋沢栄一とは?

現代の社会やビジネス環境において、道徳的な事はあまり重要視されません。

「自分さえ良ければすべて良し」といった極端な考えでは無くても短絡的に「お金(売上や利益)」を求める風潮は根強く社会を覆っています。

短絡的な「利己主義」と真逆の「道徳的な考え方」は、所詮はキレイごとでお金にならないのでしょうか?

 

・・・答えは「否!」です。

実は既に「論語と算盤(ろんごとそろばん)」でそれは明らかにされています。

 

「論語と算盤」角川ソフィア文庫

 

キレイごととも取られる道徳的なアプローチで「日本で最も成功した起業家」とも言える実績を残したのが、今回ご紹介する渋沢栄一です。渋沢の行動原理は、ビジネスや起業に疲れた方にこそ知って欲しいと願っています。

 

渋沢栄一のプロフィール / 略歴

渋沢 栄一(出典:渋沢栄一ミュージアム

普通の方は「渋沢栄一ってどんな人?」と、あまりよく知らないことでしょう。亡くなってから80年以上経過している、明治・大正・昭和を駆け抜けた偉人なので無理もありません。

 

実は現在でも、渋沢が残した事業の数々は現在の日本社会でも散見されるんですよね。

先ずは渋沢栄一のプロフィールをご覧ください。

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)のプロフィール / 略歴

◆生誕:1840年(天保11年)3月16日

◆1873年(明治6年/33歳)に大蔵省を辞任後、①第一国立銀行をはじめ指導的立場で約470社の企業の設立・発展に貢献すると共に、商工業や実業界の社会的向上に努め、経済団体の組織や商業学校を創設するなど、近代的な制度を創設。

◆その功績から②「日本資本主義の父」「実業界の父」と呼ばれる。

◆また、晩年は③社会公共事業の育成発達(500以上の慈善事業にも関わる)に努め、アメリカとの関係改善など国際親善の功績から④ノーベル平和賞候補に2度ノミネートされるが、受賞には至らず。

◆死没:1931年(昭和6年)11月11日 / 満91歳

渋沢栄一の功績は主に、プロフィールに記した①~④に挙げられるでしょう。

渋沢は明治維新後に大久保利通に説得され大蔵省に出仕しますが、その大久保利通と健全財政を主張して上司と共にケンカ別れ(笑)により辞任。

渋沢は実業の道に進みます。

・・・その後は精力的に①のように、日本の資本主義に必要な基盤を作り上げることに腐心しました。

 

渋沢が設立に関わった会社を列挙すると、名だたる会社名が並びます。

◆渋沢栄一が設立に関わった会社

・第一国立銀行(現:みずほ銀行)
・東京証券取引所
・日本郵便
・帝国ホテル
・日本鉄道会社(現:JR)
・東京電灯会社(現:東京電力)
・日本瓦斯会社(現:東京ガス)
・東京海上保険会社(現:東京海上火災)
・抄紙会社(現:王子製紙)
・札幌麦酒会社(現:サッポロビール)
etc…

※順不同

・・・現在の私たちの生活にも、大変に関わり深い会社ばかりですね!

 

さて、日本の将来のためにと、渋沢をここまで精力的に突き動かした原動力は何だったのでしょうか?

私利私欲を元に独占事業化をすれば、日本を手中にすることも可能な立場にありましたが、渋沢はそのような誘惑に流される人物ではありませんでした。

 

渋沢が生まれた1840年以降に、江戸時代の太平を揺るがす大きな変化が押し寄せたことは、その思想形成に影響しているでしょう。

アメリカのペリー来航(1852年)や、日米和親条約の締結(1853年)を目の当たりにして、「日本が植民地になるかもしれない」という危機意識が渋沢に芽生えたと言われています。

 

また、青年時代の渋沢は尊王攘夷の思想に目覚て政治改革に奔走しましたが、幕臣として随行して見聞した当時のヨーロッパの繁栄ぶりに驚かされてからは強い経済システム(資本主義)によって経済力を高めることが、近代化に欠かせないと痛感したそうです。

渋沢は日本の近代化について、当初は政治改革で志しましたが、ある時期からは経済改革によっての貢献へと路線を変更します。

 

・・・さらに渋沢の時代区分ですが、幼少時からエピソードが事欠かないので、5つに分けて整理してみました。

渋沢栄一の5つの時代区分と主なエピソード

①幼少期~尊王攘夷
1840年(天保11年/0歳):江戸時代末期の幕末に現在の埼玉県深谷市にて、教育熱心な豪農の家庭に生まれる。
1847年(弘化4年/7歳):従兄の尾高惇忠から、四書五経や日本外史を学び始める。
1861年(文久元年/21歳):北辰一刀流(幕末江戸3大道場の玄武館)の千葉栄次郎道場で剣術も学び、勤皇志士と交流する。
1863年(文久3年/23歳):尊王攘夷の思想に目覚め、高崎城乗っ取りから横浜焼き討ちの計画を実施寸前で断念し、京都へ身を隠す。

②一橋家出仕~幕臣として渡仏
1864年(元治元年/24歳):一橋家に仕官して家臣になる。
1866年(慶應2年/26歳):一橋慶喜が徳川幕府の第十五代将軍となり、幕臣となる。
1867年(慶應3年/27歳):慶喜の弟、昭武に随行してパリの万国博覧会やヨーロッパ諸国を歴訪。
1868年(明治元年/28歳):大政奉還に伴い、日本に帰国。
1869年(明治2年/29歳):日本の会社組織のはしりとして商法会所を静岡に設立。

③明治政府官僚
1869年(明治2年/29歳):秋に大隈重信の説得を受け、大蔵省に出仕。
1873年(明治6年/33歳):上司の井上肇とともに大蔵省を辞任。

④実業家へ転身
1873年(明治6年/33歳):第一国立銀行総監役に就任。
1875年(明治8年/35歳):第一国立銀行頭取に就任。
1878年(明治11年/38歳):東京商法会議所(現・東京商工会議所)会頭に就任。

➄晩年の社会活動
1909年(明治42年/69歳):渡米実業団団長として、53都市を120日余りで訪問(日米関係改善の為)
1913年(大正2年/75歳):パナマ運河開通記念を名目に渡米(同上)
1921年(大正10年/81歳):ワシントン軍縮会議視察で渡米(同上)
1926年(昭和元年/86歳):1度目のノーベル平和賞候補
1927年(昭和2年/87歳):2度目のノーベル平和賞候補
1931年(昭和6年/91歳):11月11日永眠、台東区の谷中墓地に埋葬。


※『渋沢栄一の「論語講義」』平凡社新書より抜粋と加工

大政奉還に伴い日本に帰国した翌年(1869年)には、もう商法会所を設立してしまうスピード感に驚かされます!

 

大蔵省を辞任して、いよいよ実業家にてその経済改革(資本主義導入の整備)を推進するにあたって、渋沢が教訓としたのが人類の歴史で古くから読み継がれている古典の中の古典ともいえる「論語」でした。

 

渋沢栄一の信念は「論語」から

「論語」は中国の春秋時代(紀元前770年~403年頃)に活躍した思想家の孔子の言行などを、数百年後に弟子の系譜によってまとめられた言行録です。

孔子(出典:国立故宮博物院

孔子(こうし、くじ)

◆紀元前551年~479年没

◆中国、春秋時代の学者・思想家。

◆早くから才徳をもって知られ、壮年になって魯に仕えたが、のち官を辞して諸国を遍歴し、十数年間諸侯に仁の道を説いて回った。

◆晩年再び魯に帰ってからは弟子の教育に専心。後世、儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた。

◆弟子の編纂(へんさん)になる言行録「論語」がある。

※出典:デジタル大辞泉より

論語は、「東の論語、西の聖書」と言われることもあり、人類のベストセラーの一つといったところで、古くから読み継がれてきたものです。

渋沢も幼少期から論語など中国や日本の古典に親しんできた素地があったので、ごく自然な流れと言えますね。

 

・・・ところで、論語のよくあるイメージとして「堅苦しくて小難しい」といった風潮があるかと思いますが、いかがでしょうか?(何を隠そう、私もその一人でした)

実際に論語を読むと、このイメージと真逆な孔子像が形成されます。孔子は気さくな好々爺(こうこうや)的な側面も持ち合わせて、時にはユーモアを交えながら弟子たちに接しています。

孔子を「偉大なる平凡人」と評する識者もいるほどですが、孔子に「堅苦しくて小難しい」というイメージを付けてしまったのは、後世の学者が残した弊害だったようです。

 

孔子の教えは普遍性があるので「論語」は読み継がれましたが、後世の学者が注釈を色々とつけるので本来の教えから遠ざかる傾向もありました

江戸時代に幕府を統治するために孔子の教えを先鋭化した「朱子学」が採用されましたが、実践を伴わないその姿勢に批判も多いのです。

 

渋沢も「論語」をそのまま読んでも意味が通じるのに、学者が「論語」を遠ざけていると批判的な立場を取っています。

◆渋沢栄一「論語は身近なものについて」

かくのごとき学者は、喩(たと)えばやかましき玄関番のような者で、孔子夫には邪魔者である。
こんな玄関番を頼んでは、孔夫子に面会することはできぬ。

孔夫子は決してむずかし屋ではなく、案外捌(さば)けた方で、商人でも農人でも誰にでも会って教えてくれる方で、孔夫子の教えは実用的の卑近な教えである。

※出典:『論語と算盤』角川ソフィア文庫 P.34

実際に「論語」を読んでみると、後年の学者が厳粛化して孔子の教えを民衆から遠ざけてしまった感が否めません。

まさに「やかましき玄関番」そのものですね。

 

渋沢が「直接読めば解る」とした、「孔子と孟子からの系譜」をまとめると下記のようになります。

孔子から渋沢栄一までの系譜

孔子から渋沢栄一までの系譜 ※画像をクリックで拡大します

「論語」が編纂されてからは、2000年ほど経過しているので注釈も山のように付けられています。

注釈だけならまだしも、排他的に先鋭化してきた性質も持ち合わせてきたために、皮肉にも「論語」から乖離する学派を渋沢は批判しています。

・・・そのため、渋沢は「論語」や「孟子」を直接読めば解るじゃないかと喝破するに至りました。

 

そして、日本でも商人や農民は「論語」を手にすべきでは無いとした為に、彼らの道徳感が育まれなかった事も資本主義へ移行する際の問題にもなります。

渋沢は「論語」の教えは元来解りやすいので、広く世間に効き目があると信じていたのです。

 

「論語と算盤(そろばん)」の概要 / 「義利合一説」

論語と算盤とは?

渋沢は大蔵省を辞して実業家としての道を進む際に、論語を人生の教訓するだけではなく、商売や資本主義にも「論語」を教訓にすると強く心に決めたことは、先ほど前述しました。

「論語と算盤」の本編では、その際の心情を具体的に述べている箇所があります。

・渋沢栄一「論語の活用について」

明治六年(注:1873年で渋沢は33歳の頃)官を辞して、年来の希望なる実業に入ることになってから、論語に対して特別の関係ができた。

それは初めて商売人になるという時、ふと心に感じたのは、(中略)志を如何に持つべきかについて考えた。その時前に習った論語のことを思い出したのである。

論語にはおのれを修め人に交わる日常の教えが説いてある。論語は最も欠点の少ない教訓であるが、この論語で商売はできまいかと考えた。

そして私は論語の教訓に従って商売し、利殖を図ることができると考えたのである。

※出典:『論語と算盤』角川ソフィア文庫 P.31~

その「論語」を教訓として実業家としての道を歩み、多くの功績を残した渋沢栄一が晩年に残した演説をまとめたものが、「論語と算盤」となります。

(ちなみに「論語と算盤」は、渋沢の膨大な演説録から梶山彬という編集者が各テーマに沿って抜粋してまとめたもので、渋沢が書いたものではありません。)

 

一風変わったタイトルの「論語と算盤」ですが、渋沢が主張した「利潤と道徳を調和させる決意」である「義利合一説」を、さらに抽象的にした表現となります。日本に資本主義を導入する際に、拝金主義への暴走を食い止めるブレーキ役としての「論語」ですね。

商売に学問は不要と思われていたので、「商人と屏風は直(すぐ)うちゃ立たぬ」と揶揄された時代です。そうすると、商人は自分たちでも道徳に縛られる必要は無いといじけてしまっての悪循環です。

学問なんて覚えると、かえって弊害があると言われたその頃の日本は当然のように、商売が最も奮いませんでした。

そのような時代背景でも、渋沢は近代化への道には資本主義は不可欠だが、同時に道徳も啓蒙しないと持続可能な繁栄には至らないと先見の明があったのです。

 

・・・そして、こちらも誤解が多いところですが、孔子は経済的に豊かになることを否定していません。そこに至るプロセスが正しいかを重視しています(現在のビジネスシーンでも言われる、「結果」などは孔子から見たらただの副産物かも?)。

渋沢は論語を直接読んで学んでいるので、このロジックには陥らずに「金銭を取り扱うが何ゆえ卑しいか。金銭を卑しむようでは国家は立たぬ。」と考えていました。

 

 

「論語と算盤」の概要ですが、本編は全十章からなります。

・・・渋沢が論語を通して生きてきた晩年の演説録なので、タイトルだけでも趣がありますね。

『論語と算盤』全十章のタイトル

一、処世と信条
二、立志と学問
三、常識と習慣
四、仁義と富貴
五、理想と迷信
六、人格と修養
七、算盤と権利
八、実業と士道
九、教育と情誼
十、成敗と運命

※漢数字を付けましたが、本書では振られていない番号です。

各章にはそれぞれ五から十二の節があり、全部で九十一節の構成となります。もちろん、各演説を編集したものなので、気になる箇所をどこから読んでも差し支えありません。

日本で最も成功した起業家の渋沢の処世術が網羅されているので、下手な自己啓発本を100冊読むよりも有益です。

 

漢文調の日本語なので読み難いイメージもありますが、ここまでに二度引用していますので文体の感じは掴めるかと思いますが、いかがでしょうか?

大丈夫そうな方は「角川ソフィア文庫版」をお求めいただいて、ちょっと難しそうだなと思いましたら現代語訳の「ちくま新書版」も入手が可能です。(後半におススメ書籍の紹介をしています。)

 

まとめとして、渋沢の概略や演説の雰囲気が伺える1分ほどの短い動画がありましたので、こちらもご参照くださいませ。(渋沢の肉声は0:45辺りから)

ここまで渋沢栄一の「論語と算盤」や孔子の「論語」を説明してきましたが、次はその魅力についてご紹介します。

 

「論語と算盤」は現代ビジネスでも役に立つのか

「役に立つのか」「金になるのか」云々はビジネスシーンにおいて、何かしらの資格を取得する際などにも、よく聞かれる言葉ですよね。しかし、一次関数のまっすぐなグラフのように順調に正比例していくことは、なかなか難しいものです。

私個人でも成長を実感する際には、長らく悶々とした後にひらめくような瞬間が訪れて、指数関数的な曲線を描いて上昇していくイメージがあります。

成長イメージ(一次関数と指数関数)

 

短絡的なノウハウの集積なら一次関数的な直線も描けるのでしょうが、人間の成長の本質的な部分は指数関数的な曲線を描くのではないでしょうか。

 

インターネットが一般層にも普及した1990年代末ごろから、私たちは最新の情報にアクセス可能な環境を手に入れています。しかし、一見は最新に見えても過去の賢人の言説の焼き直しだったりすることも多々あります。

「温故知新」といった有名な故事成語がありますが、この言葉は「論語」が出典です。

先達の知恵は、そのまま人類の歴史の集積です。「故きを温ねて新しきを知る」事は、情報の取捨選択フィルターを備えることになります。

 

・・・このフィルターがあれば、この情報が新しいのか?または有益なのか?の価値判断が容易になります。私やあなたの悩みや過ちのほとんどは、昔の賢人が既に解き明かしていたりします。

逆説的ですが、古典や歴史から新しいものが学べるのです。(このパラドックスは面白いですよね)

 

「論語と算盤」をおススメする、5つの理由

私的には「論語と算盤」は現代の生活者はもちろんですが、特にビジネスパーソンの方に触れてほしいなと日々思っています。そんな私が「論語と算盤」をおススメする理由を5つ挙げます。

「論語と算盤」をおススメする、5つの理由

①「日本で最も成功した起業家」だから
②「現代経営学の父」ドラッカーも渋沢を称賛
③渋沢を通して東洋思想の本質に触れられる
④拝金主義に陥らない(道徳と商売は矛盾しない)
⑤同じ志の様々な年齢層の仲間に会える

 

① 日本で「最も成功した起業家」だから

渋沢が「日本資本主義の父」と称されるような、数々の功績を残した人物であることは前述しました。その際に約470社の企業の設立に中心的に関わった渋沢の実績は、現在まででも比類が無いものでしょう。

 

私たちは普段でもビジネスセミナーの申し込みをする際に、登壇者の実績などからセミナーの価値を「値踏み」したりしますよね。

成功者のノウハウや体験談は常に多くの人の興味関心を集めますが、日本でその最高峰と言って良い実績を持つのが渋沢です。その渋沢が成功の秘密(?)を解き明かしてくれたのが、「論語と算盤」というわけです。

・・・ビジネスパーソンが読まない手はありませんね。笑

 

②「現代経営学の父」ドラッカーも渋沢を称賛

営(マネジメント)を体系化、学問分野として確立した功績を持つのが、ピーター・ドラッカー(1909-2005)です。その功績から「現代経営学の父」と称され、95歳で亡くなるまで常に経営学のトップに君臨し、世界中の経営者から尊敬を集めました。

P.F.ドラッカー(出典:ドラッカー公式サイト

ドラッカーの代表作の一つである著書「マネジメント(1974)」に寄せられた日本語序文には、ドラッカーが渋沢の「義利合一説」に言及した箇所があります。

ドラッカーの渋沢評

◆『率直にいって私は、経営の「社会的責任」について論じた歴史人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は「責任」にほかならないということを見抜いていたのである。』

◆『本書全巻を貫くものは、結局、渋沢栄一がかつて喝破した「経営の本質は”責任”にほかならない」という主題につきるといえる』

※出典:『渋沢栄一の「論語講義」』平凡社新書より

ドラッカーが経営学者として初めて上梓したのが30歳だそうですが、日本の戦後の復興を目の当たりにして強い関心を抱き、渋沢の見識と活動に着目したそうです。ドラッカーの思想には儒教の影響があるとの指摘もありますので、渋沢の「義利合一」の与えたポジティブな影響の広がりを感じます。

 

・・・ビジネスパーソンの知名度も高いドラッカーですが、渋沢を評したことで、「論語と算盤」に辿り着く人も多いそうです。

「日本資本主義の父(渋沢)」と「現代経営学の父(ドラッカー)」の接点が中国の古典である「論語」と知ることは、ビジネスパーソンの教養を豊かにしてくれるはずです。

ぜひ、両者を合わせて読んでおきたいですね。

 

③ 渋沢を通して東洋思想の本質に触れられる

孔子の言行録である「論語」を読まず嫌いする方に聞いたことがあるのですが、「漢文調の文体が苦手」と言っていました。この文脈の背後には「堅苦しい」とか「説教調で息苦しい」などもあると感じています。

日本の古い歴史だけでなく近代化に至るまで、「論語」などの古代中国の英知が深く関わっています

私も以前は、その辺りを知りたいとは思いつつ、後回しにした経験がありますが、堅苦しいのは嫌という深層心理かもしれません。

そんな私でも、現代の生活と古代中国の思想を、渋沢の「論語と算盤」で繋ぐことができました

 

渋沢は孔子の「論語」や孟子の言葉をそのまま読む事を推奨していたので、後世の学者が先鋭化させた堅苦しい「朱子学」などは後回しの後回しです。笑 また、渋沢は幼少時から生涯を通して、四書五経(論語や孟子)などを学者はだしで学んでるので、渋沢のフィルターを通して見る東洋思想の景色は私自身が大変に興味が湧くポイントでした。

 

・・・誰に紹介されるかで、興味度は全く変わってきますよね。渋沢栄一や「論語と算盤」に興味が湧いて読んでみたら、そのまま本書で引用されている「論語」や「孟子」に入っていく流れで、私は読み進めました。

 

④ 拝金主義に陥らない(道徳と商売は矛盾しない)

日本に資本主義を導入する際に、渋沢が心配したのは「拝金主義の暴走」でした。「論語」はそのブレーキ役となりますが、そのことを渋沢が述べている箇所があります。

・渋沢栄一「拝金主義について」

豊かさと地位とは「人間の性欲」とでもいうべきものだが、初めから道徳や社会正義の考え方がない者に教えてしまえば、薪に油を注いでその性欲を煽るようなもの。

結果は初めからわかっていたのだ。

※出典:『現代語訳 論語と算盤』ちくま新書 P.178

豊かさや地位が「人間の性欲」とはショッキングですが、言い得て妙ですね。笑

 

しかし、先でも触れましたが、渋沢も孔子も「豊かさや地位」を否定していません。そこに至る正しさが大事だと述べています。これらは朱子学が日本に植え付けてしまった誤解の最たるものと言えるでしょう。

・渋沢栄一「豊かさの誤解について」

余が平素の持論として、しばしば言う所のことであるが、従来、利用厚生と仁義道徳の結合が不十分であったために、(中略)、仁と富とを全く別物に解釈してしまったのは、甚だ不都合の次第である。

(中略)

後世、儒者のその意を誤り伝えられた一例を挙ぐれば、宋の大儒たる朱子が、孟子の序に、「計を用い数を用いるは、仮令(たと)い功業を立て得るも、ただこれ人慾の私にして、聖賢の作処とは天地懸絶す」と説き、貨殖功利のことを貶している。

(中略)

これを別様の意味から言えば、仁義道徳は仙人染みた人の行うべきことであって、利用厚生に身を投ずるものは、仁義道徳を外にしても構わぬといふに帰着するのである。

※出典『論語と算盤』角川ソフィア版 P.143~

渋沢の主張する「義利合一」は、ビジネス(≒利用厚生)とモラル(≒仁義道徳)を同居させるモデルで、実際に戦後の復興と経済成長に大きく寄与しました。

 

さらに「お金を卑しむ」風潮に関するエピソードは、渋沢が大蔵省を辞任して実業家に転身する際にもあります。

大蔵省の玉乃という同僚が、渋沢の辞任を聞きつけその判断を誤っているとして、「しかるに賤しむべき金銭に眼が眩み、官を去って商人になるとは実に呆れる。今まで君をそういう人間だとは思わなかった。」と渋沢を責めました。

 

玉乃の非難に対して、渋沢は次のように答えます。

・渋沢栄一「金銭について」

私は論語で一生を貫いてみせる。金銭を取り扱うが何ゆえ賤しいか。君のように金銭を卑しむようでは国家は立たぬ。官が高いとか、人爵(じんしゃく)が高いとかいうことは、そう尊いものではない。人間の勤むべき尊い仕事は到る処にある。

(中略)

そして私は論語を最も瑕瑾(きず)のないものと思ったから、論語の教訓を標準として、一生商売をやってみようと決心した。

※出典『論語と算盤』角川ソフィア版 P.33

「論語と算盤」の中でも、名シーンの一つでしょう。

・・・豊かさや地位を犯罪まがいの方法で得てたとしても、世間の評価を気にしてしまう話はよく耳にします。

低次の欲求が満たされて、次第に欲求が高次になっていくと社会的に認められたくなるとか。

しかし、豊かさや地位を求めて「人間の性欲」を丸出しにすることは、禽獣と何ら変わりがありません。できれば、このような道筋は避けたいものですね。

豊かさは否定されるべきものではありませんし、お金を卑しいものと思う必要もありません。道徳的に適った道筋かどうかに、その人の生きざまが現れてくるのでしょう。

 

⑤ 同じ志の様々な年齢層の仲間に会える

私は自分さえ良ければ良いようなタイプの方とは、あまりお近づきになりたく無いです。同じ時間があったら、(私自身は聖人君子に程遠いので)、徳の高い方を見習いたいですからね。

まれに渋沢栄一や孔子・孟子の系譜が好きな方に出会うと、勝手に親近感が湧いてしまいます。笑 巷で言われている「引き寄せの法則」かどうかはわかりませんが、私は「論語」の巻頭を飾る有名なことばをよく思い出します

・論語のことば

『学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋あり遠方より来る、また楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや (学而篇1)』

意訳:習ったことをおさらいし身につけるのは、大いに喜ばしいことだ。志を同じくする友が、遠くから訪ねてくるのは、また大いに楽しい事だ。人から認められなくても気にしないのが、本当の君子ではないか。

・・・今ではインターネットがあるので、このブログからでも同じような考えの方とお近づきになりたいものです。

 

渋沢栄一の評判や名言

渋沢は残した功績が多すぎて、ドラマや映画化し難い題材だと聞いたことがあります。そのせいか、渋沢の一般的な知名度はあまり高いとは言えません。

功績の素晴らしさがもっと周知されると良いとは思いますが、更には人間・渋沢栄一の魅力も合わせて周知されれば良いと思います

 

また、渋沢栄一や「論語と算盤」に興味が湧きましたら、本を手に取っていただいたり、東京都北区王子の資料館などに行くのもまた楽しいですよ。(そちらも後半に紹介しています)

 

渋沢栄一のエピソードや人となり

渋沢栄一のエピソードや人となり

渋沢は幼少時代から漢学や剣術を学んでいましたが、当時は武士を目指していたそうです。血気盛んなエピソードは渋沢の意外な一面でもありつつも、情熱的な本質なんだろうなと感じます

 

①怪しい祈祷を行う修験者(しゅげんじゃ)を退治

渋沢が15歳の時に姉が発狂してしまい、暴言暴行の狂態を働く姿に一家は心配に駆られました。

父方の母親が大の迷信家であったため、病気は家に祟りがあるためかもしれないので、祈祷を強く勧めます。迷信嫌いの渋沢の父は反対しましたが、父の留守中に修験者を呼んで、祈祷をする運びとなってしまいました。

※修験者(しゅげんじゃ)は、神道や仏教などが合わさった山岳を信仰する神秘的な民族宗教で、山伏などとも言われる修行者。

 

さて、三人の修験者が来て御祈祷が始まります。神様を降臨させる役で中座の女性(渋沢家で最近雇い入れたお手伝いさん)に目隠しさせ、修験者は色々な呪文を唱えます。お手伝いさんはいつ丸め込まれたのか、「家には無縁仏があってそれが祟りをするのだ」と言い出します。

 

渋沢少年は父と同じ迷信嫌いなので、疑わしき所は無いかと祈祷の様子を終始注目していました。

中座が無縁仏について、「ほこらを建立して祀りをするが宜い」と言ったころから、渋沢少年は詰問を開始します。笑

渋沢少年「ほこらを立てるにも時代が分からないと困ります。何年ほど前ですか?」

中座「およそ五、六十年以前である」

渋沢少年「何という年号の頃ですか?」

中座「天保三年の頃である」

※解説(ここで、ダウト。笑 天保三年は二十三年前の事です。)

 

渋沢少年「神様が年号を知らぬという分けは無いはずだ。こういう間違いがあるようだと、信仰などとてもできないし所詮取るに足らぬものだろう」

すっかり座は興を冷まして修験者の顔を見つめると「これは何でも野狐が来たのであろう」と言い抜けたので、なおさら野狐ならほこらを立てるのは不要だと何事も止めることになったとか

 

・・・賢い渋沢少年は、大人から見たら「ませたガキ」だったでしょうね。笑 この事件以来、修験者の類を村に入れるのは止めようとなったそうです。

ちなみに、渋沢が信頼を寄せた孔子は、このような奇跡を起こした逸話は一つもありません。そんな渋沢と孔子の関係が薄っすらと感じられるので、このエピソードは私のお気に入りです。

 

②血気に逸った攘夷(テロ)計画未遂

渋沢が12歳の時にアメリカのペリー来航(1852年)があり、その後は天皇を敬い外敵排除を掲げた「尊王攘夷」論が勃興するなど、日本には大きな変化の波が押し寄せてきました。

渋沢が24歳になる1863年には、学問の師である尾高惇忠や弟の剣豪・長七郎、渋沢の従兄の渋沢喜作らと当時の政治情勢について激論を交わし、途方もない攘夷計画を立案します。

渋沢らはたとえ一命を捨てて死んでも、あえて意に介さないと覚悟を決めた計画です。決意表明の「神託」という貼札も制作していました。

その計画の内容を説明した渋沢のことばがあります。

・渋沢栄一「攘夷計画について」

一挙に高崎城を乗っ取り、ここを拠点に兵を集め、高崎から鎌倉街道を通って横浜に出て、洋館を焼き払って西洋人を皆殺しにし、攘夷の成果をあげて、幕府を倒そうと目論んだことがある。

※出典『渋沢栄一の「論語講義」』平凡社新書 P.80より

渋沢はさらっと言っていますが、これは大義名分(尊王)の為のテロ(攘夷)計画です。

随分と物騒ですが、黒船に端を発した激動の時代に、多くの人々が国の行く末を憂えた事が背景にあります。

なお、この計画は意外にも立案メンバーの急進派とも言える尾高長七郎が、京都で集めた最新の情報をもとに熟考して中止を唱えました。成功の見込みはなく犬死するだけだと長七郎は説き、渋沢らとの激論を経て計画は中止されます。

 

・・・これは渋沢が日本の近代化を目指すに当たって、先ず「政治改革」を目指したピークとも言えるエピソードだと思います。この後、中止したとはいえ計画が発覚される危険もあり京都に身を隠した渋沢でしたが、その後の「経済改革」に身を投じる前の出来事だけに、ここで渋沢が犬死していたら日本の経済はどのようになっていかと想像せざるを得ません。

歴史に「もしも」は愚問と言いますが、渋沢が日本の資本主義導入や戦後の復興の起点になっていただけに、計画の中止は日本の歴史を左右する決定と言えるでしょう。

この実行寸前だったエピソードは、渋沢の若き日の高い志があったにせよ、仁義道徳や義利合一説を説く渋沢から知った私は大変驚かされた次第です。

 

③英雄は色を好む?渋沢のバイタリティに感心

さて、渋沢は論語を通して道徳を説きましたが、女性関係にだらしなかった事は意外な一面ではないでしょうか。笑 渋沢は最初の妻の千代と一男二女をもうけ、千代の死別後は後妻の兼子と四男三女をもうけました。

当時の通例で妾もたくさんいたそうで、その子供は三十人以上とか(!)

 

そんな渋沢の女性関係に関するエピソードです。

・渋沢栄一「女性関係」

孫の華子も「わたしも若いころは祖父をなんというヒヒじじいと軽蔑していた」と述べているし、妻の兼子も、「父さまは儒教という、うまいものをおえらびだよ。ヤソ教なら大変だよ」と皮肉交じりに語っていたという。

栄一自身も晩年には、「婦人関係以外は、一生を顧みて俯仰天地に恥じない」とみずから語っていたという。

※出典:『現代語訳 論語と算盤』ちくま新書 P.238

さすがの渋沢も家庭では、渋沢家の女性たちに攻撃されている情景が浮かんできます。

ちなみに、華子の言う「ヒヒじじい」は昔のヒヒみたいに顔を赤らめた「スケベじじい」ということです。妻の兼子には、奔放な女性関係をヤソ教(キリスト教)の「一夫多妻制の宗教」になぞらえて、諦め半分に揶揄されていますね。

 

そして最後には、渋沢が開き直る構図ですが、これは渋沢の隠れた名言でしょう。笑

妾さんの件など、時代が違うと言えばそれまでですが、意外な一面があると親近感が湧きます。完璧な人間なんていませんし、渋沢もスーパーマンですが一人の人間です。

沢の人並外れたバイタリティの源泉は、意外と女性関係にあったのかもしれない?!

 

・・・そういえば、渋沢は『豊かさと地位とは「人間の性欲」』と言っていましたが、上記のエピソードを踏まえると、また違った趣が感じられます。笑

 

渋沢栄一の名言5選

渋沢栄一の名言5選

つい、隠れた名言と順番が前後してしまいした(笑)

手元にある書籍の『渋沢栄一100の名言』より、私の好きな渋沢栄一の名言を5つご紹介します。最初の選別で30か所以上に付箋を付けてしまったのですが、さらに厳選したものです。

・渋沢栄一の名言①「硯と筆」

『硯(すずり)は生命が長い代わりに極めて静かなるもの、墨はそれよりも生命が短いだけ少し鋭いところがあるが、筆は一番鋭いものである代わりに生命は最も短い。』

※出典:『渋沢栄一100の名言』宝島社

何気ない中にも、どこか渋沢の隠喩(メタファー)が感じられて好きなものです。

渋沢の晩年のことばだと思われますが、「硯・墨・筆」はそのまま渋沢の「老年・壮年・青年」期の各活動の隠喩に感じられます。

 

祖国存亡の危機感から、血気に逸って命がけで政治改革を目指した「青年期」は、一番鋭いものである代わりに生命は最も短い「筆」のようです。

また、政治改革路線を断念し、官僚から実業界を経て経済改革で国を先進化しようとした「壮年期」は、生命力が短いだけ少し鋭いところがある中間の「墨」といえます。

国際親善や慈善事業に加え、精力的な講演活動も精力的だった「晩年期」は、生命が長い代わりに極めて静かな「硯(すずり)」に思えてきます。

 

・・・「硯のような人生でありたい」と渋沢は語ったそうですが、人生のステージに応じた様々な横顔も渋沢の魅力の一つでしょう。

硯・墨・筆が三位一体にならないと書ができないように、人生においても青年期から晩年期を通した様々な側面が折り重なって、その人の一生を完成させるような気がします。

 

・渋沢栄一の名言②「目的と手段」

『目的を達するにおいては手段を選ばずなど、成功という意識を誤解している。』

※出典:『渋沢栄一100の名言』宝島社

私自身は「論語と算盤」を通して、「金銭を卑しむ」ことは孔子や儒教の最大の誤解と考えるようになりました。金銭を卑しむ必要はありませんが、正しい道の先に無ければとても「成功」と言えません。

 

渋沢は豊かさや地位を「人間の性欲」に例えたと前述しましたが、「自分さえ儲かれば何をしても良いと考える人」のお金を性欲に置き換えたら、禽獣と何ら変わらないことに気が付きます。

よく、「お金に色はありません」と嘘ぶく人がいますが、「社会に有益な方法で稼いだお金」と前者の意味合いは全く異なっています。

 

・渋沢栄一の名言③「社会に利益を」

『私の事業上の見解としては、一人の個人に利益がある仕事よりも、多く社会に利益のあるものでなければならないと思う。』

※出典:『渋沢栄一100の名言』宝島社

渋沢に道徳心が無かったと言われ続けた商人でしたが、江戸時代に全国へ活動地域を広げた近江商人の行動哲学に「三方よし」は、渋沢の理念と合致する理念ではないでしょうか。

「三方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の理念を、後世の人がお題目(タイトル)として名付けたものです。

瞬間的に大金を稼ぐような、売り手だけが儲かるビジネスは決して長続きしません。人さまにも後ろ指を指されてしまいます。このような理念を持った近江商人でさえ、伊勢商人とともに「近江泥棒、伊勢乞食」と同業者から揶揄されたぐらいです。

商才に長けたとしても、助長せずに「隠徳事業」を家訓にするなど、近江商人は自浄作用に努めていたにも拘わらず、です。

 

・・・持続可能な成長を目指して長期的視座に立つと、渋沢や近江商人のように社会への還元も当たり前のことになってきますね。

 

・渋沢栄一の名言④「日常から学べ」

『たとえば日常のことでも、考えようによってはすべてが学問ではないだろうか。』

※出典:『渋沢栄一100の名言』宝島社

渋沢は実業界に転身する際に、論語を「おのれを修め人に交わる日常の教えが説いてある。」と評して、人生の座右の書としました。論語は日常の学問なので、暗記できるほどの知識を蓄えても、実践(≒日常での振る舞い)がイマイチだと、あいつは「論語読みの論語知らず」だと陰で言われてしまいます

江戸時代の官学として採用された朱子学には、実践を遠ざけた机上の空論に傾いた性質があるので、渋沢はほとんど全く評価していません。日常から遠ざかってしまうと、「さて論語に書かれた道徳をやるぞ」といった、大変に不自然な態度になってしまいます。笑

渋沢はこれを良しとしませんでした。

 

・・・道徳が日常的なものだとしたら、私たちは毎日あらゆるケースが試されているとも言えるでしょう。何事も日々の行いの積み重ねが大事ですが、道徳もしかりです。

 

・渋沢栄一の名言➄「論語読みの論語知らず」

『私は普段、論語を好んで読むけれども、いまだにその教えがよく実行できているというわけにはいかない。』

※出典:『渋沢栄一100の名言』宝島社

最後はこの言葉に尽きますね。

実は中国でも昨今の経済成長を経て、道徳的な危機感が高まっているそうです。「論語と算盤」の翻訳書などが逆輸入で次々と出版され、本家の中国で注目されていることを聞くと、孔子の教えを最も体現したのは渋沢栄一その人じゃないかと思えてきます。

もちろんあくまで私の私見ですが、あながち遠くもないでしょう。

 

・・・その渋沢が「まだまだだな」と自省しているところに、孔子の教えの深遠さが窺えます。

 

渋沢栄一関連のおススメ本

この記事でも何度か引用している本となります。

①『論語と算盤』角川ソフィア文庫 / 渋沢栄一

②『現代語訳 論語と算盤』ちくま新書 / 渋沢栄一(訳:守屋淳)

③『渋沢栄一の「論語講義」』平凡社新書 / 渋沢栄一(編訳:守屋淳)

④『渋沢栄一100の言葉』宝島社  / 津本陽監修

※全てAmazonアソシエイトリンクとなります

順番はお好きなものからで構いませんが、私は①②③④の順番で手に取りました。①は漢文調の文章なので、最初は少々読み難いかもしれません。そのような場合は②から読むと理解が速いかもしれませんね。

ただ、②は①の全訳ではなく抜粋です、おおよそ60%の現代語訳版となりますことをご留意ください。

『①論語と算盤(角川ソフィア)』と『②現代語訳版(ちくま新書)』の対応表

一、処世と信条 12節(現代語訳は9節)
二、立志と学問 10節(  〃  6節)
三、常識と習慣 10節(  〃  6節)
四、仁義と富貴 9節(  〃  5節) 
五、理想と迷信 11節(  〃  5節)
六、人格と修養 11節(  〃  5節)
七、算盤と権利 5節(  〃  4節)
八、実業と士道 9節(  〃  5節)
九、教育と情誼 7節(  〃  5節)
十、成敗と運命 7節(  〃  5節)

※合計91節(現代語訳は55節≒約60%)

私の場合ですが「論語と算盤」を①②と読み進めて、原典である孔子の「論語」を読んでみたくなり、渋沢の解説もある③を読み進めていきました。その後は「論語」や「孟子」と併読して、④の「論語と算盤」以外で語られているエッセンスを探したりしました。

④で監修をされている津本陽さんは、『小説 渋沢栄一』も書かれていますが、こちらの「100の言葉」は2016年初版の比較的に新しい本です。

 

・・・どのように読み進めるかは、色々と好みもあると思いますので、ぜひぜひご参考にどうぞ。

 

王子の「渋沢資料館」や深谷の「渋沢栄一記念館」

渋沢資料館/渋沢栄一記念財団

渋沢栄一や「論語と算盤」などに興味が湧きましたら、資料館などで更に理解を深めることができますので、様々なイベントもチェックしてみましょう。

 

渋沢資料館@東京都北区

東京都北区にある「渋沢資料館」は、JR京浜東北線や東京メトロ南北線が重なるターミナル駅なので、アクセス良好な立地です。飛鳥山公園の中に立地していますので、春は桜を眺めながらなど四季折々の風景も楽しめます。

◆渋沢資料館 〒114-0024 東京都北区西ケ原2丁目16−1

 
 
※開館時間や休館日や入館料など、詳細は必ず渋沢資料館公式HPをご参照ください。
 
 

渋沢栄一記念館@埼玉県深谷市

現在の埼玉県深谷市は渋沢栄一の出生地として知られています。こちらには「渋沢栄一記念館」があります。JR深谷駅が最寄なので、東京都内からのアクセスは少し大変ですが、渋沢の直筆の書などが充実しているそうです。
 
◆渋沢栄一記念館 〒366-0002 埼玉県深谷市下手計1204 
 
 
※開館時間や休館日や入館料など、詳細は必ず渋沢栄一記念館公式HPをご参照ください。
 
 
 

渋沢栄一の命日(11月11日)は、谷中霊園へお墓参り

渋沢家の墓(谷中霊園)

都心からアクセスのよいJR日暮里駅のそばにある、谷中霊園に渋沢栄一は永眠しています。

毎年、11月11日が近くなったら気軽にお墓参りに行きましょう。こちらの記事に最寄駅からの地図など、まとめてみましたのでご参照くださいませ。

 

◆谷中霊園 〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目5−24
渋沢栄一の墓所番号「乙 11号 1側」

緯度経度の表記(35°43’26.2″N 139°46’22.8″E)座標の表記(35.723944, 139.772985

 

 

隣雲の硯(りんものすずり/この記事のまとめ)

隣雲の硯(りんものすずり/この記事のまとめ)

「現在のビジネス環境に道徳的な観念は必要ないのか?」という私の疑問に答えてくれたのが、渋沢栄一の「論語と算盤」でした。

そして「日本で最も成功した起業家」とも言える渋沢が、成功の秘訣を明かしたのが本書となります。その秘訣はと言えば「論語」や「孟子」をはじめとする古くから読み継がれた東洋思想に、渋沢が身を委ねたことに他なりません。

本書からは「豊かさと地位は人間の性欲」と喝破した渋沢が、「最も欠点の少ない教訓」である孔子の教えををシンプルに実行してきたことが学び取れます。

 

日本の経済成長の過程においても拝金主義は散見されましたが、孔子や渋沢は「豊かさや地位」を否定していません。富を求める資本主義は暴走しがちですが、節度を持った道徳的観念とのバランス感覚が無ければ、成金と揶揄されてしまいますね。

「世の中は金が全てだ!」と考えている人は、他人に何を言われても平気かもしれませんが、このような考えはやはり不自然だと思います。

 

・・・このような事をつらつらと書いている私自身は、どうなのか?というと、決して道徳的に優れていたり、ビジネスで大成功しているわけではありません

私は聖人君子のような人間ではありませんし、むしろ程遠いぐらいです。笑 自分が至らないことを知っているので、道徳的な道筋で豊かさや地位を得る術を提唱する渋沢栄一のような偉人に敬意を払っています

このような考えは、ぜひぜひ会社勤めのビジネスパーソンや自分で起業したけど疲れている方にこそ、知ってもらいたいなと思います。

 

短期的視座の売上に日々追われて、人として大事なものまで失うのはやはり不自然に感じるし、悪評を生む負のスパイラルに陥るのは本当にもったいないですね。

今からでも遅くありません。「論語と算盤」は、道徳とビジネスが決して矛盾しないことを明らかにしているので、心からおススメします。

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隣雲(りんも)

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こんにちは、隣雲(りんも)です。
私は東洋思想とマーケティングが好きな、アラフォーの日本人です。

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・・・私の好きな『論語』に「徳は弧ならず、必ず隣有り」という一節がありますが、
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