レビットのマーケティング・マイオピア(近視眼)/ 鉄道や映画が衰退した問題とは?

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マーケティングの近視眼?
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こんにちは、隣雲(りんも)です。

前回は、「マーケティングがー」と言ったところで、肝心な「心構え」が無いとアカンやろ!という内容でした。

 

実生活でも、配慮を感じない自分本位の「自己チュー」は、ほぼ嫌われますよね。

・・・しかし、人間は知らず知らずのうちに、「自己チュー」化する生き物のようです。苦笑

 

現代ビジネスでも、かつての花形産業が衰退してしまう事は、特に珍しくありません。

その原因を「自己チュー」であると喝破したのが、レビットの「マーケティング・マイオピア(近視眼)」です。

人間の「不治の病」のように、何度も繰り返されている問題となります。

 

「マーケティング・マイオピア(近視眼)」とは?

「マーケティング・マイオピア(近視眼)」とは?

マーケティング界の大物といえば、散らばっていた知見や学説を体系化した、フィリップ・コトラーでしょう。

私は、そのコトラーと並び立つほどの偉大な人物が、セオドア・レビットだと思います。

セオドア・レビット

T.レビット(画像出典:Wikipedia)

レビットは、30歳の若さでハーバード大学ビジネススクール(経営大学院)の講師になり、キャリアをスタートさせました。

そして翌年である1960年に発表され、世界に衝撃を与えたと言われるのが、『マーケティング マイオピア(Marketing Myopia:マーケティング近視眼)』です。

そのマーケティング論文は、ハーバードビジネスレビュー誌が厳選した10本にも挙げられ、日本でも読むことができます。

 

「マーケティングの教科書」ダイヤモンド社

 

レビットはこの論文で、成長著しい産業と思われていたが、「実は成長を止めてしまっていたケース」について鋭く分析しています。

◆マーケティング・マイオピア(近視眼)

産業や製品、あるいは技術ノウハウについて狭く定義してしまったがために、それらを十分花咲かせないままに衰退させてしまう。」

出典:「マーケティングの教科書」ダイヤモンド社

 

・・・平たく言うと、レビットは「企業が自分たちの立場からしか、ものごとが見れなくなっている硬直した状態」を戒めているんですよね。

成長著しい好況の中で、業界・製品・ノウハウにフォーカスし続けた結果、環境の変化に対応できなくなる状態とも言えます。

 

マーケティング・マイオピアの提唱は、「自分か顧客のどちらに視点をフォーカスさせるか」という、問題を浮き彫りにしました。

 

その問題について、レビットは、事業衰退の原因は経営の失敗にあると、責任の所在を明らかにします

「いずれの場合も成長が脅かされたり、鈍ったり、止まってしまったりする原因は、市場の飽和にあるのではない。

経営に失敗したからである。失敗の原因は経営者にある。」

出典:「マーケティングの教科書」ダイヤモンド社

・・・レビットは、事業領域(ドメイン)の目的を誤って定義したために衰退した、鉄道と映画産業の具体例を示します。

 

鉄道産業のマイオピア(近視眼)

第二次世界大戦後のアメリカでは、広大な国土で馬車に代わり発展したはずの鉄道産業が衰退しました。

 

その頃のアメリカで、旅客や貨物の需要が減ったかと言うと・・・

逆に依然として、増えていたという事実があります。

 

それでは、なぜアメリカの鉄道事業は衰退してしまったのでしょうか?

マーケティング・マイオピア(近視眼)の事例 / 鉄道事業

レビットは、鉄道産業が衰退したのは、自らの事業ドメインを誤ったからと主張しています。

「鉄道が危機に見舞われているのは、鉄道以外の手段(自動車、トラック、航空機、さらには電話)に顧客を奪われたからでもない。

(中略)

事業の定義を誤った理由は、輸送を目的と考えず、鉄道を目的と考えたことにある
顧客中心ではなく、製品中心に考えてしまったのだ。」

出典:「マーケティングの教科書」ダイヤモンド社

鉄道産業の事業ドメインを「鉄道の利用を増やす」と定義していたので、徐々に衰退してしまったと指摘されています。

 

顧客側の目的は「移動や荷物を輸送したい」ということなので、他に利便性の高いものがあれば、もちろんそちらを利用します

・・・市場の原理で、ごく当たり前の行為ですよね。

 

もし、鉄道産業の事業ドメインが「移動や荷物の輸送を引き受ける」だったら、新参者に市場を明け渡すことも無かったかもしれません。

 

映画産業のマイオピア(近視眼)

レビットは、ハリウッドの映画産業も鉄道と同じ理由で、衰退したと指摘します。

マーケティング・マイオピア(近視眼)の事例 / 映画

ハリウッド映画産業は、テレビの攻勢を脅威と見てしまい、一時期は破滅に近い状態まで追い詰められました。

「映画会社も事業の定義を誤ったのだ。
映画産業をエンタテイメント産業と考えるべきだったのに、映画を製作する産業だと考えてしまったのである。

(中略)

エンタテイメント産業をさらに飛躍させてくれるチャンスとして、テレビを歓迎すべきだったのに、これを嘲笑し、拒否してしまった。」

出典:「マーケティングの教科書」ダイヤモンド社

皮肉にも、その後のハリウッド映画産業を救ったのは、テレビ界で名を挙げた若手の脚本家やプロデューサー、そして監督たちだったというオチまで付いています。

 

【コラム】歴史は繰り返す

私がこの部分を読みながら「あっ!」思い出した、あるヒット曲があります。

テレビに打ち負かされたのは、ハリウッドの映画産業だけではありません

もちろん、ラジオ産業もその影響を受けました

 

・・・私が思い出したのは、世界中でヒットした、バグルスの「ラジオスターの悲劇(Video Killed the Radio Star)」ですね。

1979年のこの曲は「ビデオ(テレビ)が、ラジオスターを葬った~♪」と、ラジオの黄金期を賛美する曲でした。

 

テレビの出現が、ハリウッド映画産業やラジオ産業を衰退に追い込んだ勢いが感じられますね・・・

 

ところが!

既にお察しかもしれませんが、そのテレビ産業は、インターネットの出現で衰退に追いやられます

「歴史は繰り返す」の格言通りに、先ほどのバグルスのパロディーまで作成される始末となりました。笑

そういえば、日本でも2005年には、IT企業のライブドア社が、ニッポン放送買収を試みたことがありましたね。

買収は実現はしませんでしたが、従来のテレビ産業が事業目的を見誤っていた?という、日本の事例かと思います。

 

 

衰退する産業に、欠けていた「要素」と届かなかった「視点」

レビットは、衰退する産業に欠けている要素として、「成長のチャンスではない」と主張します。

これまで見てきた通りですが、事業ドメインを見誤らなければ、「輸送に特化(鉄道産業)」「エンタテイメントに特化(映画産業)」としての成長チャンスは存在しました

 

欠けていた「要素」

レビットは衰退した要素として、鉄道をここまで大きくした「経営的な想像力と大胆さ」の欠如を挙げています。

 

そして、こんなことは素人でも分かると言いながら、レビットは哲学者ジャック・バーザンの言葉を引用します。笑

「前世紀において最も進んだ物的社会組織(鉄道)が、それを支えていた想像力を欠いたために、みじめで不名誉な地位に落ちていくのを見ると、慚愧(ざんき)に耐えない。

いま鉄道に欠けているものは、創意と手腕によって生き残り、大衆を満足さえようという会社の意思なのである」

出典:「マーケティングの教科書」ダイヤモンド社

 

・・・製品中心の立場からものごとを考えると、いつの間にか欠けてしまう要素なのでしょう。

逆に言うと、顧客中心の立場を起点にしないと、自分の外側の領域が見えなく(マイオピア:近視眼)となることを示唆してくれますね。

 

届かなかった「視点」

製品中心である「マーケティング・マイオピア(近視眼)」の状態では、いずれ衰退する可能性が高くなります

自身の事業ドメインを狭く定義してしまった為に、思いもしなかった脅威に気が付かなくなるからですね。

 

顧客中心にものごとを考え始めると、多様な次元で展開される競走に足元をすくわれます

この競走次元を可視化しようと、レビットの後進の研究者が「マーケティングの競争次元」まとめています。

マーケティングの競争次元

マーケティングにおける競争次元(※クリックで拡大)

 

内側から外側に向かった「マーケテイングにおける競争次元」は、ちょうど製品視点から顧客視点への視野の広がりと重なります

◆マーケティングにおける競争次元

・ブランド競走(直接的に競合する相手)
・産業競走(同じ商品を提供する相手)
・形態競走(類似するサービスを提供する相手)
・一般競争(広義の競争相手)

 

先ほどのバグルスの曲のパロディーではありませんが、テレビ産業と重ね合わせてみると、こんな感じでしょうか?

◆テレビ産業における競争次元

・ブランド競走(同じ時間の視聴率を争う他局)
・産業競走(同コンテンツを扱う、DVDレンタルやケーブルテレビ)
・形態競走(情報収集を目的とした、新聞やインターネットの利用)
・一般競争(スマートフォンに向き合う時間が増えて、テレビそのものを見なくなった)

マーケティングにおける競争次元(テレビ vs スマートフォン)

 

テレビ産業の衰退を、先ほどのレビットの言葉を借りるならば、

◆もし、レビットが生きていたら?

「事業の定義を誤った理由は、エンタテイメントを目的と考えず、番組の放送を目的と考えたことにある。

顧客中心ではなく、製品中心に考えてしまったのだ。

インターネットを歓迎すべきだったのに、これを嘲笑し、拒否してしまった。」

そして、スマートフォンの普及で、衰退は加速した。

といった感じでしょうか。

 

・・・製品中心でものごとを捉えると、知らずのうちに「自己チュー」になってしまうことを、レビットは戒めていますね。

 

隣雲の硯(りんものすずり/この記事のまとめ)

隣雲の硯(りんものすずり/この記事のまとめ)

レビットの「マーケティング・マイオピア(近視眼)」は、論文としては60年ほど前になる古いものですが、今でもその価値は失われていません

しかし、残念ながらレビットの指摘もむなしく、今でも同じように産業が衰退するケースが多々見受けられます

 

マーケティングが比較的に新しい学問分野とはいえ、それだけ人間が陥りやすい事と見たほうが良いでしょう。

レビットは経営者を非難していましたが、当事者からしたら必死さゆえの、近視眼だったかも?!

 

まあ肯定的に解釈しましたが、人間の根源的なもので、決して不治の病ではないはずです。

 

・・・ヒントが無いかと開いた「論語」に、「マーケティング・マイオピア(近視眼)」を戒めるような言葉がありました。

『子の曰く、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う衛霊公第十五の三十 / 15-30

◆先生がいわれた、「過ちをしても改めない、これを(本当の)過ちというのだ」

 

『子の曰く、人にして遠き慮(おもんばか)り無ければ、必ず近き憂い有り衛霊公第十五の十二 / 15-12

◆先生がいわれた、「人として遠くまでの配慮がないようでは、きっと身近い心配事が起こる」

出典:『論語 金谷治訳注』岩波文庫

 

この言葉を並べてみたら、製品視点にフォーカスしすぎると、人に配慮できない「自己チュー」的な振る舞いになるのも分かる気がしました。苦笑

真剣に取り組むと、つい「近視眼」に陥るのは、何かと避けたいものですね!

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隣雲(りんも)

隣雲(りんも)

こんにちは、隣雲(りんも)です。
私は東洋思想とマーケティングが好きな、アラフォーの日本人です。

声の大きい狡賢い人よりも、徳の高い人こそが報われる世界があったら良いなと思っています。

・・・私の好きな『論語』に「徳は弧ならず、必ず隣有り」という一節がありますが、
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